【最後のコラムです】
23年携わってきた新聞業界の仕事…
今日が最終日です。
本当にいろいろな方にお世話になりました。
この場をお借りして御礼申し上げます。
有難うございました。
これからは八王子を中心にちょっとしたお困りごとからほんとに困ったのお手伝い『まごころサポート』と森永乳製品の宅配事業をメインに地域の皆さまに、より喜んでいただけるようがんばっていきます!
さて、新聞読者向けのコラムも最後となります。
どうぞ、お付き合いください。
☆今年もあっという間で残すところ1ヶ月とちょっと。早いものですね。
そして表紙にもお書きしましたが、このミニコミ紙も今回が最終号で、このコラムも最後となります。
20年間、ご愛読いただきまして本当にありがとうございました。
毎回、たくさんのコメントや励ましのお言葉がぼくの財産です。心から感謝申し上げます。
さて、最後のコラムは「すべての終りは全ての始まりでしかない」と題して締めくくりたいと思います。
これは織田信長が本能寺の変で最後に言い残した言葉とされています。
その後に「是非にも及ぶまい」と続きますが、これは「当否や善悪の判断をする必要なんてない」という意味になります。
「終わり」とは今までの事が完結して一つの結果が出ただけで、新たに始まるための一つの通過点でしかなく、すべてが「おしまい」と思えば本当に「終わり」になってしまいます。
竹には節がありますが、成長の中で中身の空洞は一旦閉じますよね。
でも、それを繰り返すから強い竹として伸び続けられるんです。
節がなかったら簡単に折れてしまうでしょう。
また、例が悪いかもしれませんが離婚で日本人とアメリカ人を比べると、一般的に日本人は過去や今に耐えられなくなって離婚をしますが、アメリカ人は将来のもっと素敵で良い人生を送りたいという想いから離婚を選択する傾向にあります。(あくまで一般的です)
実際、英語の「LAST」という単語は通常「最後」と翻訳しますが本来の意味は「最近」となります。
つまり、現在から過去を見た場合、現在に最も近い時点で起きた事が「最近」であり、言い換えれば「最後」になる訳です。
この考え方はとても大切だと思います。
「最近」どうだったか、だから次はこうしていくんだ。この思考がアメリカ人らしい過去に囚われない自由な国の自由な生き方になっているのだと思います。
過去や今の「当否や善悪の判断をする必要なんてない」訳で、「最近」を考えた時に自分も周りも幸せなのか、もっと将来的に素敵な人生で自分も周りも笑顔でいたい。と未来志向でいられるかが幸せな人生なのか不幸な人生なのか決まってしまうのかもしれません。
是非、皆さまの人生が幸多き事をお祈りし、最後のコラムとします。
また、どこかでお会いしましょう!
20年間のご愛読、誠にありがとうございました。